坂東の水旅 – いまふたたびの巴波川 –

 2017年に実施した巴波川テストクルーズから時が経ち、栃木市内に移り住んだ遠藤氏は、栃木県内の川や湖をフィールドにSUPガイド事業として蔵の街SUPを立ち上げた。

 そんな彼に、再び巴波川を下ろう…と持ち掛けたのは、2020年2月の頃であった。

なんで寒い時期?ゲレンデを飛び出すバックカントリースキー的な川旅

 前回下ったテストクルーズは11月。その下見を行った9月に思い知ったことは、青々と草生い茂る季節に川下りは向かないということだ。

 カヌーをはじめ、ラフティング、SUPなど総称したパドルスポーツに適したフィールドは、実は地元のガイドたちが、せっせと整備して利用できるようになった歴史がある。このようなフィールドを「ゲレンデ(Gelände)」というのだが、ゲレンデの本来の意味は「練習場」―――つまり、パドルスポーツで楽しむフィールドは、練習に適したフィールドと、そうではないフィールドに分かれる。両者とも隔たりなく一連したアウトドアであるにも関わらず、後者が圧倒的に難易度が高い傾向にある。

 このゲレンデの外にコースアウトするバックカントリースキーのような水旅において、下見と同等に重要なことは、季節を選ぶということだ。

 季節を選び道を見出すことに長けているのが、アイヌという北海道(アイヌモシリ)に古くから住んでいる北方民族たちだ。彼らの言葉の中で、マタァㇽ(冬の道)とサクゥㇽ(夏の道)―――人が通ることができる道は、季節によって異なったのだ。

 さて、川を旅するにあたって、マタァㇽ(冬の道)とサクゥㇽ(夏の道)どちらが有効か…私はマタァㇽ(冬の道)に適していると考えている。

 それは、夏にゲレンデの外へと飛び出すと、河原はマムシや蚊が多く潜む藪に覆われ、川の中でも鬱蒼として進むことが困難となる。そして、降雨量は冬より夏のほうが圧倒的に多い。いわゆる不快指数は、夏のほうが断然高くなるはずだ。

 すると、必然的に冬の旅は快適になってくる。もちろん落水したら水温は冷たいので、それなりの準備が必要なのだが、それでも冬の旅は快適なのだ。

2年ぶりの巴波川、変わったこと変わらないこと

 まず変わったことといえば、ともに漕いだ遠藤氏が、栃木に移り住んだということだ。
 彼の自宅兼事務所となっている栃木市の嘉右衛門町(かうえもんちょう)は、重要伝統的建築物群保存地区(伝建地区)に指定され、全国各地に残る歴史的な集落・町並みの一つだ。彼の自宅は、その往年の河岸である平柳河岸沿いにあった。そこから出発、なんとも粋じゃないか…

蔵の街SUP拠点(当時)目の前にある平柳河岸を発つ、朝6時

 栃木の巴波川を下っていくには、全部で7つの堰を越えねばならない。前回の経験を活かしながら、朝靄に煙る巴波川を粛々と下っていく。

川から湯気が立つ。気温は水温よりも圧倒的に低いのだ

 すると、大きく河岸が崩れたエリアに入ってきた。

 2019年10月、強大な台風が、東日本各地を襲った。後に令和元年東日本台風と呼ばれた台風19号は、なにより影響を及ぼした地区が広範囲であり、ここ栃木も被災した。

 巴波川の隣、永野川が氾濫し、巴波川方面へ浸水。当日夜、遠藤家一家も栃木市役所駐車場の屋上に車ごと逃げ事なきを得たが、栃木全体が水浸しとなり復旧までに時間がかかった。

 それから4か月後の旅路でも、栃木から下流域がすべて被災していることが分かった。

以前は春日神社へと続く橋が損失し、周辺の護岸はえぐり取られていた

 巴波川の7つ堰を越え、渡良瀬遊水池のエリア内に入ると、高い木の天辺まで一面” 真っ茶色 ”。水害の威力を物語る…

 巴波川は渡良瀬川へ入り、そして思川と合流。

左が足利方面(渡良瀬川)、右が小山方面のジャンクション

 そして、新古河駅前で遠藤氏と別れ、一人利根川へと向かった。

新古河駅前のサイン「三国橋」