坂東の水旅 – 放射冷却の魔手 –

穏やかな1日目を五霞で終える

 遠藤氏と新古河駅前で別れ、ひとり大河をゆく。

 渡良瀬川、そして利根川を過ぎると、日没を迎えた。前回(2017年11月)に上陸した五霞町が、ちょうど右岸に見えてきたので、着陸し1日目を終えた。

利根川の先、地平線に沈む夕日。これが関東平野の風景

 この1日目は、高気圧に覆われ、ゆるりとした冬晴れで快適であった。ところが、東の地平線から満月が上がってきた頃、反面寒さがやってくるのであった。

テント泊を妨げる放射冷却の寒さ

 高気圧がやってくると、日中は温かく穏やかな時間となり、地熱が高まる。一方、夜になると、赤外線として地熱が放出され、熱が逃げていく。曇っている夜ならば、その雲と地面との間で熱が留まり比較的温かく過ごすことができるのだが…晴天の日は、熱が宇宙へと逃げるため極端に寒くなる。これが「放射冷却」という現象であり、まさに当夜に体感することとなった。

 今回は、海(千葉県銚子町)まで向かう航程。おそらく4日ほどかかるだろうか。
 テントや食材をボードの上に上手くパッキングしてのツーリングが初めてであったため、どんな装備が適しているか…という最初の旅であった。

 そして失敗したのが、テント選び。

 SUPには積み込める(ボード上に縛り付ける)量は少ない。そのため、寝る際に下に敷くマットを省略し、代わりにSUPボードをテントの下に敷いてみた。実際に敷いてみると、テントの幅よりも、ボードの幅が短いことが分かった。

naturehikeのテントの下に、インフレータブルSUPボードを敷いている

 多くのテントは、メッシュ地の内側(インナー)と外殻(フライ)で構成されているが、その間から氷点下の寒風が容赦なく入り込んできた。強烈だ。寝袋は2枚重ね着して潜り込んでいるが、寒さで2時間ごとに起こされる。こうして、寒さの中震えた翌朝、私はこの2日目で旅の終了を検討した。

取手までの自由な旅

 旅を切り上げると判断すると、どうもやる気がなくなってしまった。

 ただ、ここ五霞で終えるにも、公共交通機関まで遠い。河川敷から最も公共交通機関まで近い場所、それは40㎞下流にある取手駅(茨城県取手市)

 惰性ではあるが、取手まで下って旅を終えることとした。

五霞の対岸、境の河岸

 境を過ぎると、ほとんど流域に町は存在しない。

 川と町との関係は、2種類に大別される。町の中を流れるシンボリックな川、そして利根川のように町の辺縁部(境界)として存在する川だ。

 大河の多くは後者の傾向が強いが、ここ利根川は極端だ。河川敷の広さが、人を寄せ付けない。もし、草木豊かな温かい季節に上陸してしまったら、マムシやスズメバチが潜む藪漕ぎは不可避である。

雨が少ない冬季は水量少ない時季のため、たまに浅瀬がある

 上陸は諦めて、ひたすら取手を目指す…と意気込んでも緩やかな流れに身を任せ、ダラダラと過ごすのも悪くない。

ボードの上でバーナーを使用し昼食準備

 昼食を済ませると、少しやる気(漕ぐ気)が漲ってきた。

 「ブーン」と機械音が上空から聞こえる。ハンググライダーと目が合った。互いに川と空とを自由に楽しむ旅人。目で挨拶を交わす。

 河川敷は、例年の増水の影響で草木は見当たらず、荒野の山々のように茶色の土手が積みあがっていた。

利根川は、まさに荒野をゆくが如し

 途中、川の端に船が係留されていた。ゆっくり近づいてみると、年配の男性が船内から出てきた。

 「おはよう、何処から」

 「昨日、栃木から出てきました」

 「夜は寒かったよな、道中気を付けて」


 左岸に鬼怒川の合流点、右岸には利根運河の入口(封鎖されている)を過ぎると、取手まで10㎞ほどの航程。

 流速は遅くなるため、しっかり漕がないと取手までたどり着けない。

JR常磐線の鉄橋を背景に取手へ上陸

 こうして、取手で旅を終えた。1泊以上のSUPツーリングは初めてであったが、失敗を糧に次の旅へと備えよう

栃木から小山までの70㎞の航程