伊豆諸島訪問記 – 帰島 –
さらば、伊豆諸島の日々
ドルフィンスイムを終え、利島の港へ。
いよいよ本州島へと戻るとき。
14時45分、利島発。下田港ゆきの神新汽船が、ゆっくりと近づいてきました。
船から降りてきたスロープでドーリーごとカヤックを船内デッキへと揚げ、「さよなら」のとき。
島に生きる人たちに会いに行き繋がる(舫う)旅は、なんと心地よいことか。
もちろん、島に生きていくことで苦労することも多々あるだろう。
嵐になれば、島から出られず、島に帰ってこられず
人との距離が近いから、いろいろ動きにくいところもあるだろう
ただ、自然の中で雄々しく柔軟に生きていく友たちを、会い触れ合うだけで、互いに学びになる。
旅人は、そのために生きているのだ。
この旅は、日本の島、まだ旅して生きたいと、強く思う機会となった。
下田港へ到着、新たな旅のはじまり
神新汽船に乗り込むと、1週間前に会ったパーサー(船内のサービス担当)の石関さんに声を掛けられる。
「無事にまた会えましたね、この海はどうでしたか?」
なんとも心地よい会話、海を生業にする方の言葉は、いつもさっぱりしている。
今回の旅では、強力なアドバイザーの助言によって、無事帰ってこられた。
弓ヶ浜カヌースクールの塩島 敏明氏。
南伊豆の弓ヶ浜を中心に、長くシーカヤックガイドを生業にしているベテランガイド。” シーシェルパ ”という異名で、水先案内をする。シェルパとは、ネパールの部族の名であるが、ヒマラヤ山脈(エベレストを筆頭とした)のポーター(荷物運び)だけでなくガイドとして登山の際に重要な役を担っている。その海のシェルパとして、今回伊豆諸島の旅で助言をいただいた。
塩島氏は、シーカヤックガイドの先輩でもあり、私の母校・東京海洋大学の前身である東京水産大学の出身である。つまり、大先輩だ。
下田港に神新汽船が到着すると、港で塩島先輩が待っていてくれた。
この2週間後に、西伊豆の松崎でシーカヤックマラソンがあった。そのスタッフとして、私は参加する予定であったので、カヤックはじめ機材一式を塩島先輩へ預け、下田駅から帰宅となった。
人とつながると、また、旅がしたくなる―――次は、何処へ行こうか。
おわり