ぐるり長島の旅 – 船頭平閘門から木曽川へ –

 私の妻もカヤッカー(カヤック乗り)なのだが、妻のカヤックを修理のため知人に預けているようだ。その引き取りのため、2020年1月末、三重県桑名市へと向かった。

 妻は、カヤックに” 池月 ”と名前を付けている―――池月とは、12世紀末に関東地方(当時は坂東)で活躍した源 頼朝公の愛馬の名で、妻は大層お気に入りのよう。三重の知人 池添氏(通称ゾエさん)から譲り受けたこともあり、カヤックに” 池月 ”と命名したようだ。

 私は、自前のカヤックに名前を付けたことがない。なにせ、カヤックは履くものであり自らの足腰へと変態するものなので、名前を付けたことがないのだが、” 人馬一体 ”として愛馬に命名するのも良いのかもしれない…

 妻が所属している土肥カヌークラブの同僚である三澤氏と3人で、夜の東名高速道路を西へ西へ…

はじめての木曾三川

 名古屋を過ぎ、夜明け前に到着。ここ長島(ながしま)は、木曽三川の河口に位置する中州。

 木曽三川とは、揖斐川(岐阜県西部より)、長良川(岐阜県東部より)、木曽川(長野県西部より)という3つの大河のこと。濃尾平野という広大な平野を各々流れ流れて、ここ長島付近で三川が合流し、伊勢湾へと注ぐ。三川の河口の幅といったら、日本一の広さといっても過言ではないだろう。

 ” 池月 ”の引き渡しは、夜明けとともに長島北部の「船頭平閘門」で行われた。ついでに、長島を一周しようということで、今回有志で集まったのだ。

ゾエさん御手製のツーリングマップで恒例のブリーフィング開始

 長島を時計回りに一周する。一周30㎞という、なかなか長距離コース。

 ただし、ゾエさん曰く「糸井、垂涎のコース」とのことだ。すでに視界に、その1つが入っている…

ようこそ、船頭平閘門

 出発地点は、船頭平閘門から…

 閘門(こうもん)とは、関東の水郷ツアーでも紹介したが、水位調節機能付きの水門のことだ。この閘門が、日本全国で約150か所あり、うち健在な約80か所を巡る旅を私は好んでいる。

 そもそも閘門は、洪水から土地を守る” 治水 ”と、その土地土地を結ぶ水運を通すという” 利水 ”と両方を取るという、ヒトの欲望の塊のような構造。これが、全国の水辺にひっそりと眠っているのだから、漕いで通ってみたいと思うのがヒトの性ではないだろうか。

 そんな“ 閘門マニア ”として自他共に見られた私なので、ゾエさんも予め関連資料を集め、私にプレゼントしてくれた。ありがたや…

 資料を見ると、ここ木曽三川も長く治水と利水の歴史があるようだ。

 3つの大河で、上流の岐阜や大垣などの川街とつながり、伊勢湾沿いの伊勢や四日市などの海街とも繋がる―――ここ木曾三川河口域は、川と海が入り乱れた絶好のターミナルだったようだ。特に、桑名は物流拠点としては最大の港町だった。

 一方で、大河の河口に位置する長島では、古くから「輪中」という治水手法が取られていることで有名だ。川と共に生きてきた人々の営みを振り返ることができる。

江戸時代末期の木曾三川河口、輪中が入り乱れる” ぐちゃぐちゃ ”な世界が想像できる
「長島町誌・上巻」(昭和53年 長島町教育委員会)より

 ここで、明治時代に川の改修が行われる―――3つの大河を交らせずに、堤で各々を分断し、海まで水を流す。こうすると、人の世界が水浸しにならない。
 ところが、入り混じった水路が分断されたため、いちいち海まで下って隣の川を遡らねば、交流ができなくった。こりゃ面倒だ。交流がないと、港町は衰退するのが歴史の真理である。

 そこで、オランダ人技師デ・レーケ(1842 – 1913)により、船頭平に閘門施工が計画され、1902年に完成―――木曽川と長良川と再び通航できるようになった。陸上交通が発達し大橋が架けられた1930年代まで、年間2万隻の船が通航し、年間1万枚の筏が通航してきたようだ。素晴らしい舟運の新世界だったろうに…

 そんな世界に想いを馳せながら、閘門を通航。その先に、木曽川が待っていた。

つづく

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