海遍路・若狭湾編スタート
海遍路(うみへんろ)
シーカヤックの魅力は、海を旅することができる舟であるということ。自ら海へ出て旅をし、海岸線を巡り、日本を回ることができる。
その特性を生かして、始まったプロジェクトが、これから関わっていく海遍路(うみへんろ)である。
高知大学の山岡 耕作教授と、石垣島のシーカヤックガイドである八幡 暁氏が、2011年から始めたプロジェクト。
海遍路では「漕ぐ、歩く、聞く」 をコ ンセプトに、人力の舟「シ―カヤック」で、自らが海を読み、自然を学ぶ当事者となりながら、多様性に富む日本の海辺を訪問し、海抜0メートルの視点から地域に生きる人々と出会い、暮らしを学び、記録します。
海遍路ホームページより
海の”お遍路”。四国島を3年かけて1周し、漁村や生物の現在を切り取る海旅が行われてきました。そして、2014年に三陸地方を巡り、2015年に有明海を回ってきたようです。
糸井の海遍路ことはじめ
回ってきたようです、と他人事なのは、私が初めて関わったのが、2016年。
神奈川県小田原市から東へ向かった海遍路を、横浜市にて待ち構え水先案内したところが、私の海遍路とのはじまり。
このとき水先案内を務める圧倒的リーダーの八幡氏とは、この前後に神奈川県逗子に越してきた関係で、何度かお会いすることがあったのだが、ここで初めて海(運河)を一緒に漕ぐことができた。
この海遍路・神奈川県沿岸の際にお会いした藤井 巌氏と、2018年に福岡県博多市で遭遇。以降、何度かお会いした際に、海遍路の現状を知ることとなった。
海遍路を紡ぐ
2011年から始まった海遍路は、山岡先生が退かれた後、京都大学にて森里海の連環を提唱している田中 克名誉教授が引き継がれていた。
一方、水先案内を務める八幡氏も、石垣島へと戻り、海遍路へアクティブに参画することが難しくなり、海遍路継続の危機であるとのこと…
そこで、海遍路の水先案内人に糸井をと、白羽の矢が立ったのだ。
それは、2019年1月のこと。ちょうど福岡から関東へと戻り、再びカヤックを始めようと思っていたところ。
おそらく海遍路というものは、どのような形でも継いでいくものなのだろう。海を旅し、今の日本を見つめる機会をつくるために、私が次世代へ紡ぐというのも、1つ良い時間なのではないか。
一方で、八幡氏の強いリーダーシップの元で、今までの8年間牽引されてきた事実があった。私なんぞに務まるものなのか…
迷っていても仕方がないこと。まず、新参者の糸井がすべきことは、「海遍路を自分事にする」ということであった。