Seakayaking with Diamond Dave in 2014
「50代後半のアメリカ人ミュージシャンの方で、ニューヨークやヨーロッパの大都市など、世界中様々な場所でカヤックを体験しており、東京や横浜などの川もカヤックしてみたいと仰っているのですが、シーフレンズではそのようなプライベートツアーに対応していらっしゃいますか?英語を話せる方がいらっしゃらなければ彼の通訳の私が同伴いたします。」
とメールが届いたのは、2014年1月27日。差出人は、塚本 仁希さん。私と同世代で、翻訳や通訳を生業にしている女性からであった。
当時は横浜みなとみらいにある帆船日本丸で実施するのか、委託運営している横浜シーフレンズで実施するのか少し揉めたが、結局どちらのスタッフでもある私がプライベートツアーとして受け入れを。
特にアーティストのファンではない無関心の私が参加者情報として聞いたのは、「Van Halen」というハードロックバンドのボーカリストDavid Lee Rothという59歳男性ということ。
カヌーイストDiamond Dave
2014年2月7日の朝。横浜みなとみらいの日本丸駐車場に、リムジン現る。
降りてきた長身の男性と早速挨拶を交わす。今回の参加者であるDavid Lee Roth―――通称Diamond Daveというらしい。
話は逸れるが、この翌日は吹雪の中でスタッフと一緒にシーカヤックをしていた。そのときに「どんな人が来たのか」と問われ事の顛末を話すと、魂消られた。ロック界屈指の有名人のようだ。
さて、Nikki(塚本さんの愛称)が同時通訳しながらヒアリングするという形で、プライベートツアーが始まった。
話を聴いていると、Daveは幼少期からカヌーを始め、彼がVan Halenのボーカリストとしてニューヨークで活躍している最中も港湾区域でカヌーをしていたということだ。
いまの東京のように、当時はフェンス張りで水域への侵入禁止とされたニューヨーク。もちろん市民がシーカヤックで港湾区域を漕ぐことが軽蔑されてい時代だったが、彼はフェンスを工具で切断する等(ゲリラ!)密かにシーカヤックを出し悠々と余暇を楽しんでいた。
以降も、世界各地の都市をコンサートツアーなどで巡業した際は、必ずカヌーやシーカヤックをしていた根っからのシティパドラー。
鳥のさえずりや町の音など国によって様々異なるのを見出していくのが面白いんだとか―――さすがアーティスト。
そして、ここ横浜で彼が選んだルートは観光地みなとみらいではなく、みなとみらいを河口に持つ大岡川。
「最も汚く静かな水辺にこそ、大都市の始まりを感じる」というDaveの意見に共感するのは、私も根っからのシティパドラーだからだろう。
そんなDaveからは「Nikkiを一人前のパドラーにするまで指導してください。先進国の女性を甘やかす風潮はダメ。」ということで、午前いっぱい使ってレクチャー。午後から大岡川へと漕ぎ出すことに。
明るくて気さくなDiamond Dave。午後、彼のUnstoppableな話が始まった。
マシンガントークDave
Daveの印象的な教え方は「Like Stevie Wonder(目じゃなく手で確かめて覚えろ)」
ということで、Davidと私の2方向から歴史やカヤックの講義を通訳しながら慣れていくNikkiがもっとも大変だったろう。
そして、Daveのトークはカヤック漕ぎながらでも息つく暇もない。
Daveと並漕しながら、彼のアウトドア歴の話題を左耳でなんとなく訳しながら聞く。同時に、Nikkiの通訳に右耳を傾けて確認する―――けっこうハードだが刺激的だ。
最終的には、同時通訳前にDaveと私でトークラリーをしていた。これなら私の英語もっと上達できるな…
横浜みなとみらいからJR根岸線の架橋を始め、大岡川へと架かる震災復興橋の話なども展開しながら、ぐいぐいと大岡川を遡った。どうやらDaveは、大岡川周辺を頻繁に訪れているらしい。刺青に凝っているそうだ。
大岡川と中村川の分岐路を過ぎ、通称Y校(横浜商業高校)のボート部練習場で少し羽根を休める。
Sexy Dave
Y校から難なく横浜みなとみらいまで戻ってきた。帰りも相変わらずマシンガントーク。すると、
「このコースは素晴らしい。ジムでエクササイズするよりも、横浜でシーカヤックを楽しんだほうがいいな。また来たい」とリピート希望。
あれから、いくつか機会があったが実現できていない。いまもアーティスト活動の合間に、世界の何処かでシーカヤックしているのだろう。
最後に、横浜の水辺をDaveは「Sexy」と表現した。
日本語も表現が難しいが、ひとことで表現する英語も奥が深い―――そして、そんなDaveの魅力が言葉に詰まっている。
それ以降、「Sexy」という彼からの受け売りを私は多用している。それはシティパドラーとして彼が見てきた景色とその価値を、私も後世に伝えていきたいからだろう。