2024年始を沖縄で

 (父が2023年に亡くなったため)忌中にて年始のご挨拶控えさせていただきます。本年も宜しくお願い申し上げます。

 さて、年始を沖縄本島で過ごしてまいりました。気温22℃、水温も高くサーフィンには最適。

写真中央の平たい島は、琉球王国にとって大切な久高島(くだかじま)

 サーフィン好きな妻の計らいで、結縁(ゆいえん)さんでサーフガイド&宿泊しながら、3泊4日を楽しんでおりました。

 結縁オーナーの 新里 毅 さんは、もともとサーフボードを作るシェイパーとして、そして沖縄では早くからサーフガイドとして第一線で活躍されている経験豊富な案内人です。

結縁オーナーの新里さん(写真左)と

 初日に案内されたのは、「スーサイド」というポイント。
 沖縄の歴史に深く刻まれている沖縄戦(1945年)―――その集団自決を見ていたサーフィン好きのアメリカ軍人により名づけられたと言われています。ポイントへのアクセスまでに慰霊碑が立ち並び、その隣でボード準備や着替えなどの光景を見ると、なんと平和なことかと溜息が出ます。

 その後、港川のポイントへ―――バス停名を見て「あ、歴史の教科書で見た地名だ」と振り返れば港川フィッシャー遺跡(フィッシャーとは割れ目)が。旧石器時代を生きた” 港川人 ”たちは、どうやら台湾から渡ってきたようです。

蓄積された琉球石灰岩の最上部にあるとされる港川フィッシャー遺跡

 「(ラピタ人がメラネシアへと航海するとは別に)台湾にいたラピタ人は沖縄へと渡ってきた。きっとそれが港川人なのだが、いなくなってしまった。クワズイモ(食わず芋、シュウ酸カルシウムという毒性があるため食べられない)を解毒する力が失われていなければ、生き延びたのだろう。こんなに生えているのだから」と、説明するのは山内 平三郎さん(NPO法人沖縄鍾乳洞協会)。
 サーフガイドの新里さんが、「絶対に山内さんにガイドを頼んだ方が良い…必ず感動するから」と、八重瀬自然遊学センターのエコツアー(南の駅やえせ内)へ申し込んでくれました。

 学生の頃(愛媛大学探検部)から洞窟探検を生きがいに探検家として世界各地の洞窟を発見してきた山内さんのガイドにも魂消ましたが、彼が拠点として大切に育ててきた具志頭の森とガイドコースは見事…沖縄にも賢者がいらっしゃいました。

沖縄特有の墳墓(亀甲型)生誕100年になったら骨壺を空けて骨をまとめるそうだ。そして、悪人(殺人等)は同じ墳墓には入れず、隣に別途作るそうだ

 ヘルメットとヘッドライト等の安全装備(無料貸し出し)を装着し、隠れた山の名スポットをぐるぐると廻ります。途中、洞窟(え、こんなとこ入れるの?)を屈んで抜け、ロープにカラビナを付けて細い急斜面を上がる等。スニーカーは必須ですね。

洞窟探検家でツアーガイドの山内さん(写真右)と

 聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とする琉球王国の神女「ノロ」と比べ、民間霊媒師「ユタ」は王宮のある首里城へ向かって祈っていますが、その場所は気の通る道として「龍穴」とされています(琉球石灰岩の割れ目など)
 ただ、年老いて山に登れなくなったユタが祈った場所もあり、中には内地(大和民族)のマネをして龍穴の前に祠を立ててしまった落第生もいる…というお話など知識豊富で楽しいレクチャーでした。

琉球国王や聞得大君のみ巡拝されていた斎場御嶽(せーふぁうたき)

 もちろん沖縄戦の名残も多くあります。もともと陸軍最強と謳われた第9師団が駐在していましたが、大東亜戦争の敗色が濃くなってくると台湾防衛のために移動。代わりに投入された第24師団はアメリカ軍から「鉄の暴風」を受けて壊滅。砲弾の破片やアメリカ軍へ夜襲をかけるため脱いでいった靴底(鉄製)が今でも残されています。

  沖縄島も観光地たくさんありますが、沖縄文化と自然、そして(なんとなく解っていた)歴史の真髄を学べる至高のツアー先です。ぜひ訪れてみてください。

通称ハンターバンの森の頂上。ここから港川、そして遠くは久高島まで見える山城でもあった。ここも第24師団の拠点で利用された。