巴波川テストクルーズ2日目 – 目指すは利根川 –

7つ目の堰を越えて、水旅後半戦へ

栃木からSUP(スタンドアップパドルボードの略)で流れてきた我々Canalistたちの前に、前半戦最大の難関が待っていた。
巴波川に設置された7つ目の堰。ここは段差が1メートルにもなる。突入すると機材の大破、もしくは大怪我に繋がるだろう。
堰上流側で上陸し、ボードを担いで下流側へと陸揚げ作業だ。これをPortage(ポーテージ)という。

足元はぬかるみ、全身泥だらけになりながらも、機材を3人で手分けして運搬し、なんとか下流へ。かなりのエネルギーを消耗してしまった。やはり陸上は疲れる。

さて、この堰から下流域が、この水旅の後半戦。
巴波川が渡良瀬川へと合流するわけなのだが、実際漕ぐと明確な境界線を感じない。
渡良瀬遊水池という、広大かつ抽象的で、文明から隔絶されたイノセントワールドへ突入していくのだ。
この旅の中で、一番漕ぎたかった場所…陸上のアクセスルートは断絶し、川の流れのみが、緩やかに我々を何処かへ連れ去っていく。

河川法で規定される巴波川の終着点をいつの間にか過ぎると、両岸は木々が生い茂る北欧のような風景の中へと、我々は溶け込んでいく。

ついに、栃木県西部から流れてくる渡良瀬川(わたらせがわ)へ、我々は流入した。ということだけは理解できる。現在位置などは正直不明。
緩やかになってきた流れに少しツマラナサを感じながら、黙々と漕いで行く。

前半戦は、巧みに川の流れを見つけて乗るため、瞬発力が要求されてきた。後半戦は、早く長く漕ぐため、持久力が必要。
栃木県を縦断して流れる思川(おもいがわ)や渡良瀬遊水池からの河川をも吸収した渡良瀬川は、徐々に川幅を増す。
ついに、川に船外機付の船舶を発見。釣り人もチラホラ。

中継地点である三国橋(みくにばし)が見えてきた。土手の向こうには新古河駅があるため、エスケープポイントに設定しておいた橋である。この先はゴールまで陸上とのアクセスが現実的ではない広大な河川敷だ。つまりゴールを諦めて離脱する最後のポイントとなる。

三国橋からゴールまでが16km。日の入りまで残り2時間半と、やや切羽詰った状況。会話をせずとも、平井氏と遠藤氏の漕ぎ方を見ていると、それぞれ意識の違いがにじみ出てくる。
漕ぐのに余裕があり日暮れ前にはゴールできると確信している平井氏と、こんな長旅がは初めてで上陸したい気持ちが滲み出ている遠藤氏。
企画者である私は、平井氏に同調。
何かあっても十分に対処できる準備と自信が私にはあった。それ以上に、私は、同行者を励ます(というより騙す)のが巧みなのだ。
まんまと促された遠藤氏も、日本で最も広大な河川敷を持つ流域へと流れ出た。

来たぜ、利根川!

日本最大の流域面積を誇る利根川を滑空

渡良瀬川が利根川へと吸収される地点。
下見の際に眺めても、彼方に対岸を望むような広さである。
水上にいれば、まさかここが「スーパー堤防」という最先端の治水システムの只中にいるとは、全く分からない。それほど人が手がけても、人の手を離れて拡大する日本に似合わない広大な河川敷である。

さぁ、そんな原野を見て、疲労困憊の遠藤氏は…
タガが外れたかのように開放的に漕いでいる。これをパドリングハイという。私が励ました(布石を敷いた)のも功を奏したのかも…

太陽が翳りだした。美しい夕凪までのカウントダウン

西風を背に受け、飛ぶように我々はゴール地点である五霞町へと順調に進んでいく。
途中の“中洲”上陸。しっかりした島と錯覚し上陸すると、それは大きな罠。底なし沼のような中洲なのだ。ボードを敷き表面積を大きくして休憩をする。

おやつは田中氏に頂いた“生クリーム入りアンパン”だ。最後へのエネルギーを注入し、いざ最後の航程へ。

終局へ向けた夢のような凪を漕ぐ

風は凪ぎ。まるで、鏡の上…その上を飛んでいく我々。今までの疲れを忘れるかのよう。

遠くには、五霞町(ごかまち)の対岸に立つ関宿城(せきやどじょう)。といっても、現在は博物館として、その名残の城址があるのみ。すでに40kmもの道程を漕ぎ疲労困憊となっている我々にとっては、非常にゴールの目標としやすい場所だ。

利根川から右に逸れ、江戸川の始まりを噛み締めるひととき。
すぐに流速が速くなり、「関宿水閘門(せきやどすいこうもん)」へと吸い込まれ始める。
ゴールは、その閘門の上流部で上陸へ。

上陸地点も、廃れた梯子があるのみ。泥だらけの上陸

栃木県栃木市から茨城県五霞町までを結んだ利根川水系の旅、終幕

ちょうどゴール地点となった茨城県五霞町の防災ステーションに、私の知人で、五霞町役場の関根氏が駆けつけてくださったのは、非常に有難い。

42kmの航程を10時間で漕破。その記念写真。
五霞の“おかき”と蕎麦焼酎を記念に頂く。

感動のフィナーレを迎えたのも束の間、栃木に置き去りにしたキャンピングカーを取りに戻らねばならない。南栗橋駅から30分で栃木へと戻る復路。これが文明であり、我々は現在その中で生きている。されど、その元を生み出していったのが水運であったのだ。

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