巴波川テストクルーズ2日目 – 栃木から42kmSUP川下り –

2017年11月24日

朝6時前に起床。流石に眠い。
冬の始まりに相応しい気温1℃。
寒さに耐えながら、キャンピングカーの外で着替え、出発地点へ。

この日の前夜、このプロジェクトに協力いただいた「蔵の町遊覧船」のご厚意で、その待合所で機材を保管していたのだ。
森田氏と合流し、機材を回収。遊覧船の桟橋から出発。

ここ栃木周辺で活動をしているNPO法人カヌマ大学の深澤氏も、この朝早くに駆けつけ撮影。
予定では、街が動き始める前にひっそりと下る予定であったが、やはり誰かに見送ってもらえるのは有難い。
こうして、往年の水辺を旅する「巴波川テストクルーズ」が始まった。

6時半に栃木を出航!これをずっと言ってみたかったのだ

栃木を離岸すると分かる、川としての巴波川

川は上流から下流にかけて、その生態を変化させる。

日本を流れる河川、その多くが海へと注ぐ。よって、下流域は、傾斜が緩やかになった川の流れの他に、海からの風や、潮流(潮位差を埋めるための流れ)の影響を、特に受けやすく、複合的な要素を考えなければならない。
それに比べ、川の上流域はシンプルで楽だ。ただ、一方通行の流れに乗っていれば、旅人を下流の町へと運んでくれる。
そのシンプルさも、時代の流れにより、変化してきた。これを文明というそうだ。

巴波川が往年の姿と異なり“文明的”になった点。それは、7つの堰が設置されたことと、浅瀬が多いことだ。
堰は場合によって迂回しなければならないが、下見済みのため、難所は限定しやすい。
一方、浅瀬は漕いでみなければ分からないため、私が先頭を切って下り“毒見”。1列縦隊での川下りは、流れの速さと各自の機材の相違により、バラバラとなってしまった。

水温より気温が低いため、気嵐が立つ巴波川。情緒ある川の風景だ

ふと見上げると、蔵の街遊覧船の森田氏が。自転車で最後の応援に来てくれたのだ。
「お~い、そんなんじゃ日が暮れっちまうぞ~」

自転車で先回りした森田氏と再会。「仕事が休みだったら、自転車で追っかけたのにな~」と羨ましがる我が先輩

春日神社の森を土手越しに眺め、最初の休憩。ちょうど小さな堰の上流部だ。
出発から1時間経過。ようやく地平線を縁取った雲から太陽が出てきた。サングラスを装着し、現在位置を確認。

ようやく日差しが当たり、温まるCanalistたち。距離と時間を確認し、行動食を頬張る。

現在位置不明の水旅

この水旅の難しさは、水上で現在位置を把握するのが難しいということだ。土手越しでしか俗世を垣間見ることができない。
最近は、Googoleマップなるもので現在位置を確認できる。しかし、旅の冒頭で電子機器を乱用すると、有事の際に電池切れとなるオチがある。そのため、防水バッグの中で眠らせておこう。
代わりに、防水加工した水路図を作成して現在位置を共有する。

そして、今回私が導入した新しいボードには、何故かコンパスが埋め込まれている。
本来SUP(スタンドアップパドルボードの略)は、波が崩れるサーフゾーンでの使用が主眼であり、派生してツーリング用のものが生み出されてきた。
すぐ砂浜が見えるサーフゾーンでは、正直コンパスは必要ないだろう。しかし、マリンスポーツ界の中では奇特なCanalist(水路を漕ぐ探検者)にとっては、重要なアイテムなのだ。

その他の個人的な装備一覧。ヘルメット、コイルタイプのリーシュコード(ライフジャケットとボードを繋ぐ)、PFD(いわゆるライフジャケット)、防水バッグ(防寒グッズやお菓子、救急箱が入っている)、籠(水路図や飲み物をすぐ取り出す)、折りたたみ椅子など。
案内人としては多く必要だが、積載できるのは少ない。本当のミニマリストがこの水旅をするCanalistなのだ

漕ぎ分けるのは迷路のように生える水草

休憩後、堰を下る。
ここから先は、中洲に生えた水草の中を漕ぎ分けて行く旅だ。
9月末に下見した時点で生い茂っていた川の水草も、冬の始まりともなるとある程度枯れる。
しかし、水草も根深く図太い。川の本流以外の場所では確実に座礁する。生い茂る水草で、まるで迷路のようだ。
ここでは、平井氏が抜きん出て迷路の“正解”を当てていく。

流れを読み、本流へと駒を進める平井氏。

その“正解”の先には、水草で隠れ休んでいる水鳥たちが…
我々に反応し、一斉に飛び立つ。この川下りの先輩である森田氏は、ヒッチコック作の『鳥』のようだと評した。
冬ならではの美しい光景だが、パドルを投げたら打ち落とせそうな距離である。なるほど、こうして鴨鍋となっていくのか。

北国から越冬のため飛来した鳥たちも、まさかこの川の上で人間と会うことなど検討していなかっただろう。

巴波川が永野川を吸収した先で休憩。ここまでで15kmを3時間弱で下ってきた。いいペースだ。
土手に上がると、北には男体山、西に太平山、東に筑波山、南に富士山を眺める。ここは関東平野。
1つ目の中継地点としたコンビニで、少し早い昼食休憩。ここより先は文明が無くなるので、しっかりと温かい弁当を頬張る。

日本一広大な平野の中を、南へと進んでいく

往年の中継地点・新羽でアンパン補給

満腹で和やかな気持ちの中、「水鳥との戯れ」や「川の本流当てゲーム」で楽しんでいると、後方でハプニングが。
遠藤氏が落水。
2方向に分かれた本流の合流点であった。こういう場所は横からの流れで足元を取られる。
あらかじめ落水の可能性を提示していたため、彼はアウトドアメーカーのモンベルショップに通いつめ防寒グッズを購入。おかげで事なきを得たが、やはり服装は大切だ。

すでに川の土手は遥か高くにそびえ立ち、景色は変わり始めた。
新羽(にっぱ)という地域に入ると、「巴波川決壊記念公園」など川との歴史に触れることができる。
ここで、遠藤氏の知人であり、NIPPA米を自作している田中氏から差し入れが。温かいコーヒーと、生クリームが入ったアンパンだ。
食べながら、水の中継地点であった新羽という河岸(かし)の歴史に触れる。
強力(ごうりき)なる船引の子孫が、現在でもその名残として祭りを行っているようだ。次回見に来なくては…

カロリー高めのアンパンのおかげで、元気100倍の強力と化した我々の前に、前半戦最大の難関が待ち構えていた。

つづく

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