那珂川流れて博多まで

那珂川流れて博多まで

 九州最大都市、福岡。この街に半年お世話になった私が最も興味を引いた川が、那珂川という川だ。
 那珂川(なかがわ)は、福岡県と佐賀県との境である脊振山(せふりやま)から始まり北上。河口では福岡と博多という街とを分けて博多湾へと注ぐ川。
 福岡まちなかでSUPを通して水遊びを発信する「TAIYO asobi switch」のスタッフとして、歓楽街の水路を案内しながら、いつか上流から下ってみたいと思っていたところ、転機が訪れた。
 日本三大八幡の筥崎宮(はこざきぐう)で毎年9月に行われる大祭「放生会(ほうじょうや)」
 この祭りのスタートアップイベントとして開催されたショートショートフィルムフェスティバルで設営などに携わっていたところ、那珂川町の方と知り合い、意気投合。翌週、SUP体験に来てもらえることになった。

初SUPにして、いきなり二人三脚漕ぎやギリギリ落ちない勝負をし出す2人

 この体験を通して驚いたことは、男性陣2名の身体能力の高さだけではなく、体験後すぐにSUPボード1式を購入し、翌日から毎日那珂川の上流部の瀞場で漕ぐ朝活を実施してきたことだ。その好奇心への瞬発力の高さに感服した私は、1つ彼らに提案をしたのだった。

「脊振の源流を汲み、漕いで博多湾へ」

 那珂川の源が脊振(せぶり)という山にある。この私の提案に乗ったのは、2018年10月から市となる那珂川の中流の那珂川町で、町を楽しく発信するため、拠点となる博多南駅に集う青年たち。彼らは、私のSUP体験後、すぐに朝SUPを毎日取り入れたライフスタイルを行い、Supiensと称した。当初、私はSupiensを何と読むのか分からず、博多南駅前ビル内にある居心地良い「Cafe Ruruq(カフェるるん)」の女将であるマイコさんに尋ねると、サピエンスと読むのだそう。う~む、とスマートかつパンチの効いたネーミングに思わず脱帽。
 ついで、自転車で下見をして那珂川上流から中流域を確認したところ、なかなか浅瀬が多く難航しそうな状況。その中でも、比較的川に降り航行しやすく、旅の始まりにもふさわしい古の堰からスタートすることに。
 その後、車で新しくできる五ヶ山ダムや脊振ダムなどを見学がてら、山頂の視察も欠かさず。

脊振視察の男3人旅。山頂より。 左から那珂川市に完成したキャンプ場「五ケ山クロス」で活躍する増井氏、那珂川市の核となる博多南駅前ビルで企画運営する株式会社ホーホゥの森重氏、そして旅人の私糸井

 決行の日は、2018年10月15日(月)
 出発を前に、浅瀬の航行の仕方など安全面をレクチャー。Supiensに密着取材している西日本新聞にも「青年3人が那珂川下り」の記事がばっちり掲載され、いざスタート。

 ところが、スタート前夜、メンバーの増員が発生した。

7人のSupiens – 水旅、那珂川編 –

 決行前日に西日本新聞に掲載された記事を見て、参加希望をしてきたのは、今回福岡周辺のSUPで私もお世話になった4名のSUP愛好家。
 3名で下る予定で組んだ安全管理が、7名分となったのだが、それは下りながら考えればいいのかもしれない…と楽観しながら、集合場所へ。
 しかし、Supiensが遅刻。というのは、私の提案「脊振の1滴」を採取に早朝から山を登っていたようだ。そして、その秋に収穫された那珂川の新米を持って漕ぎ出すという粋な男たち

さて、無事に集まり漕ぎ出すのは、伏見神社前から。

 青年3名なら伏見神社前にある「一の井堰」を越えてスタートできそうだが、人数も増えたので、場所を分けてスタートする。
 「一の井堰」は、「裂田の溝(さくたのうなで)」という日本最古の灌漑用水路の取水する場所。つまり、灌漑用水を引けるような立派な集落が、古の那珂川にあった証。旅の始まりには最適な場所といっていいだろう。

 上流の先頭は、 Supiensの2人。何しろ毎朝ここを漕ぎ知り尽くしているので、水先案内を彼らに託し、7名で漕ぎ博多湾を目指すのだが…
 緩やかに浅瀬を流れていく間に、座礁が多発。SUPは長さ20cmほどのフィンをテールのボトムに装着することで直進性を担保されているのだが、それが仇となるのが浅瀬だ。

浅瀬でフィンが引っかかり、前につんのめり落水するというリスクに直面していく。

  Supiens の2人には、あらかじめフィンを装着せずに漕ぐ術を授けているのだが、後方で“フィン座礁”に苦戦し難航している4名が見る見る離れていく。
 細く浅く、少し流れが速い瀬で、7名が一列縦隊となり流れていく。ここまでスタートから1kmくらいを1時間という遅々たるものだ。少し予定を省みなければいけない状況に陥ってきた。

我らに七難八苦を与えよ – 堰越えの遠き道のり –

 この那珂川市は、安徳天皇の伝説が各所に存在する。
 安徳天皇は、12世紀後半に活躍した平清盛の嫡孫で、平家直系の天皇である。西暦1185年、源義経率いる源氏勢に滅ぼされ、関門海峡に散った天皇でもあるが、落ち延びてここで余生を過ごしたという伝説がある。「安徳」という地名がチラホラ見られる。古からの集落もあり、平家が落ち延びるなど外敵からも見つかりにくいのだろう。
 また、サンカという山の民も、上流の脊振山に住んでいた記録も残っている。画一的な勢力下ではなく、マイノリティたちが集う多様性に富んだ地域なのだろう。そして、川に降り立つと自然も豊かと実感できる。良い水辺だ。

 裂田の溝周辺は、川が大きく蛇行して、深みもある淵が幾つかある。背振の山並みを背景に少し落ち着いていると、後方で水に落ちる音が。Supiensが、同行しているBREAKOUTのスタッフに襲いかかり、共に落水したようだ。突発的にこんなイベントも発生するとは、気が抜けない…

 浅瀬が続く川に深みが増えてくると、堰により水が留めおかれている可能性が高い。案の定、堰がやってくるのだが、落差が大きいため、堰手前で上陸し、機材を陸路運ぶ。これが時間と労力がかかる作業だ。

全力で迂回したくなる落差

 浅瀬と堰とに苦労しながら、徐々に下流へと進んでいく。川は蛇行しながら、自然豊かな姿をゆっくりと楽しむことができるようになってきた頃、昼休憩を取る予定の「現人橋(あらひとばし)」が見えてきた。

現人橋で、Cafe Ruruq女将の手作り弁当を頬張り休憩

老司堰 – 福岡市入り口に控える難所 –

 川の流れがある本流を探すべく、私が先頭に立ちライン取りをレクチャーする。その後、各々が自己流で本流を探し本流かどうかを実証していく。○×クイズのようで楽しいのは、流れが弱く初めての人でも十分トライできる環境だからだ。

やっと水深が程よく、ふわりとした緩い流れも楽しめるような状況になってきた。プチリバーSUPとでも言おうか。川はこうでなくては。
途中、カワセミを発見

 流れが緩くなってきた。川の淀みに浮かぶ藻が気になる。徐々に次の堰に近づいてきたサインだ。この先、那珂川市から福岡市へと突入するのだが、それを遮る難所が1つある。老司堰(ろうじのせき)だ。
 福岡という町は、江戸時代初期に黒田長政が造った町なのだが、敵の侵略から守るために、ここ老司に堰を設けた。この堰を切り落とせば海から攻めてきた敵軍を水攻めにすることができるという算段だろう。

老司の堰。下見をしておくと、このような難所の回避方法を考えることができる

 400年の月日を越え、今まさに我々の障害となっているこの堰の中央は、勾配きつそうな滑り台のような形状になっている。ここを滑り降りるのもリスクが高いので、堰手前で上陸し、400mもの距離を陸送していく。

 人工物により治水を試みた川は、つまり人が来ることを想定していないフィールドだ。ゆっくりと河川敷や川底などを眺めると様々な治水のための細工がしてあるが、一方で人を葬る罠にもなり得る。


福岡へ – 五穀豊穣の儀で那珂川をつなぐ –

 時刻は14時を回ったところか。全体の航程の半分までやってきたが、日の入りの時刻を考えると、17時までには福岡の街中へ到着したいところだ。

浅瀬は体重を前に乗せて、フィンを浮かし回避

 陸路で難所を迂回して疲労が蓄積している中、再び小さな堰や浅瀬を気にしながら、次の水域へと漕ぎ出していく。7名全員の身体や心が那珂川の環境に慣れてきた頃、見覚えがある景色が広がってきた。福岡都市高速環状線を抜けると、周辺に様々な看板が出てきた。福岡の街中まで一息といったところか。

西日本鉄道(通称、西鉄)の電車が通り過ぎる。水辺からの“撮り鉄”スポット

 JR竹下駅周辺の河川工事を上手く避け、美野島の堰までやってきた。ここから強い向かい風。SUPは向かい風に弱いのだが、それはフィンを外すことで解消されることもある。それを実践し適応していくSupiensたちの努力もあり、百年橋、柳橋、そしてキャナルシティのサインが見えてきた。

キャナルシティが見えれば、博多、そして中洲

 ついに、西中洲にある「天神中央公園」へ着岸。
 皆、無事怪我せずゴールすることができ、まずはホッと一息ついた。


 さて、この川下りの主旨は、なんだったのだろうか…
 そう、「脊振の源流を汲み、漕いで博多湾へ」ということだ。
 距離にすると17km、一方スタートして6時間半と夕刻を迎えていたため博多湾への到達は自粛したが、源流の1滴を河口である中洲へ持ってくることができた。

那珂川の源流の水、那珂川の新米で水辺の豊穣祭

 地図上なら理解できている道のりも、 実際は浅瀬と堰に阻まれ、本当に辿り着くのか不安に覚える水旅であった。しかし、福岡が誇る7人のSupiensたちが、那珂川を通じて上流と下流をつなぐ仮説を実証したのだ。