海遍路2025を終えて – 陸奥湾をシーカヤックで巡る旅路 –

2025年は育児をしながらの運営と初めて尽くしでしたが、海遍路を10月4日~10日で無事に実施できました。
私がリーダーとなってから5回目の海遍路でしたが、今まで海遍路した地域の中で最も北に位置する陸奥湾では、晩秋を感じながらの旅となりました。
海遍路2025の航程
当初は青森県平内町にて「森里海を結ぶフォーラム」が開催にあたり、陸奥湾を海遍路する形で予定していましたが、フォーラム自体が中止となり、2019年ぶりに海遍路単体での活動となりました。
陸奥湾の中心に位置する夏泊半島をベースに陸奥湾を時計回りで青森港、津軽半島、下北半島、野辺地港を巡り夏泊半島へと戻る航程でしたが、途中様々なハプニングがあり、津軽半島を諦める形で狭義の陸奥湾を周ることとなりました。
そんな海遍路2025ですが、その様子を3分間の動画で御紹介いたします。
なお、海遍路を終えたばかりの所感として、2025年10月14日にSNSに公開したものを以下に記載いたします。
海遍路2025 隊長の所感(2025年10月14日記載)
今回、陸奥湾の海遍路にあたり最も警戒したものが、陸奥湾一周を目標にすることで発生する事故、これを回避するため海遍路前から道中もずっと試行錯誤していました。つまり、目標を達成しなければならない、という執着する精神状態に陥ったとき必ず事故が起こる…これがアウトドアというものです。
そのため、隊長として私は共に漕ぐメンバーに一周を明言せず、椿山から出て同じ場所に帰ってくるとだけ宣言しました。
そして、この陸奥湾の海遍路で個人的に最も重要な航程を最終日10月10日(野辺地→椿山)と密かに設定。ここは、京都大学名誉教授で森里海を結ぶフォーラム代表の田中克先生が参加する航程でもあり、今回は直前で中止となったフォーラムの舞台となる海域であったので、田中先生が海遍路する中で生まれる言の葉とコミュニケーションに着目したいという思いがありました。
さて、その最終日に向けて逆算して航程を検討する必要が出てきます。
当初の天気図を見る限り、陸奥湾一周は難しいと判断。途中カヤックを陸送してもいいかな、と。
ところが、海遍路の初日に確認した天気図を見ると熱帯低気圧(のちの台風22号)が小笠原諸島より南方に確認し、触発されて天気の盤面が大きく変わってくる予感。あとは漕ぎながらメンバーの顔色を見ながら海の気分を眺めながら、行けるところまで海遍路してみようかなと、少しずつ私の気持ちが変わって(揺らいで)いきました。陸奥湾一周の海遍路が、現実的な航程として出現したのです。
初日は、カヤック初めて参加の知人と同乗し、椿山を起点に陸奥湾の中心に鎮座する夏泊半島を西側へと回り込み、地形を利用しながら青森港の港界手前にある野内まで。基礎体力と適応力が素晴らしい方で、無事に27㎞を漕ぎ青森港の夜景を眺めながら野営。
2日目は、港の案内人(ハーバープリンス)糸井による青森港ツーリング。八甲田丸を見上げて、津軽海峡フェリーの出発時間を換算しながら油川まで。
そのまま更に20㎞北上し翌朝蟹田から平館海峡を横断するという当初の計画は、車の回送先の蟹田港でフェリー故障を知り断念。
油川でカヤックを車載し、再び椿山へと帰還し、3日目は椿山から北上して下北半島へと陸奥湾を横断する航程へと変更を決意(プランBの検討と変更までの決断時間は約5分、隊長として思考停止していられません)
思ったより北風が強い3日目の朝。北上して下北半島へと渡るのか、この風にのって野辺地へと向かうのか悩みながら朝食を取っていると、少しずつ気温が上昇。これは北風と拮抗して風和らぐのではと横断を決意。予想通り横断していると海は徐々に凪ぎ、海上自衛官やバージ船などを避航しながら鯛島へ上陸。鯛島弁財天で航海祈願して少し島時間を楽しみ、いよいよ脇野沢から下北半島編。
3日目は「天気予報は宛にならない」から自分で天気を判断して功を奏したところ、脇野沢の港内の防波堤から東へと針路をとって同じ思いになる4日目の朝。強烈な向かい風に「あ、引き返そうかな」と考えがよぎるも、メンバーを見ていたら然程ぶれずに進むので行けるところまで進む。
しかし、風は更に強まり最後の岬は越えられないかもしれない…いったん体制を整えるため宿野部に上陸し、メンバー全員の意思確認して行けそうと言質を取り再スタート。
向かい風の中で大切なことは、漕ぎながら前を見るのではなく横の景色を見て速度を測ること。推定時速2㎞。予定ゴールまで距離6㎞。風は1時間以内に更に強まりそう。10分間様子を見て「みんな戻るよ~」と翻るときが最も危険なので、大きく方向転換させながら波に乗らないようにしながら宿野部に緊急着陸して、4日目のゴール地点であった川内に車を回送しているので6㎞を1人歩きながら5日目の航程を考えていくわけです。
この現状で陸奥湾一周を検討するとしたら、残り3日間で距離100㎞。もはや海遍路の距離感ではない。
もし夏泊半島への帰還を第一にするならば、選択肢は2つ。大きく北に入り組んだ大湊を諦めて横浜町へと海を横断するか、大湊へと北上して入り横浜町へと陸送して再スタートする。さて、どうしようかな。
大湊を諦めて横浜町への横断を狙うなら、黒崎から約20㎞も海を横断せねばなりません。ここで宿野部に緊急着陸したのは悪い選択肢ではなかったと感じたのは、昨日越えられなかった岬から黒崎まで約10㎞の海を横断しながら、天気とチームの塩梅を試すことができたから。おそらく風は追い風、そして風が吹くと波が立つ。そのピーク前に横浜町へ辿り着くには、と逆算しながら。
いま告白すると、それまでの4日間は、この5日目の海に向き合うための試し期間でもあったのです。ずっと天気図と現地の海と地形を見ながら、正念場は5日目であろうと。このメンバーなら渡れるのかな…その塩梅をずっと観察していました。とりわけ19歳の男性(昨年の海遍路から参加、今回は1人乗りカヤックで)と25歳の女性(今回から参加、私と同乗)の2人の醸造が成否のカギを握っていると。
1人乗りカヤックに乗っている19歳男性には、私のカメラを預けてカメラマンとしての任務もこなしながら私のサインを良く観察している伸び代たっぷりの青年。漕ぐ力が突出している一方、まだ海の経験値が浅いので、荒れた時に私から最低限のサインが必要。
私と同乗している女性は、着陸の度に膝まで海に浸かりながら魚や貝を探す…本当に海が好きなんだなと。漕ぎ出せばまるでパドリングマシーンのように黙々と、ハチドリのような驚異的な回転数で前に前に漕いでいく。これが荒れた海で何処まで継続するのか、もしくは恐慌しないかどうかがポイント。
車の回送を終えて宿野部へと戻ると、小雨で視界は悪し。離陸すると少しずつ視界は広がる中、まずは10㎞の横断。4日目の着陸予定地だった川内を左手3㎞ほどに見ながら、吹き始めた西南西の風を掴みサーフィンして黒崎まで1時間半のパドリング。
黒崎の風裏で小休止して、目標地点の確認して午前9時に離陸。左手には大湊の後背にあるシンボリックな釜臥山から自衛隊訓練の黒煙が真上に立ち上るのを沖から眺め、右後方を見ると黒崎の彼方に陸奥湾の西海岸線が色濃く見え始めてきました。つまり、風が強まってくるというサイン。漕ぎながら海図で距離を測ると西海岸まで距離30~40㎞、風速8~10m/sの西風が吹いてくるとすれば、時速に計算して約1時間後に海は荒れだしてくる。「オレ、未だ本気出してないから」と陸奥湾がつぶやくようで、その前に試し漕ぎの1時間の猶予が与えられたので、徐々に強くなる風と波に対応し前進するメンバーの様子を見ながら、突出して私の風上に併漕してくる青年へ常に風上を取る意識をするよう促して、10時半。
いよいよ陸奥湾が荒れだしてくるも、本気出すのは正午過ぎのよう。それまでに着陸態勢に入りたい。荒れだした海でカヤック同士が接触すると大破する、一方で海遍路の幟を立てた我が旗艦が見えなくなると心が折れるだろうから、つかず離れずの距離感を意識して舵を取る私。その前に乗る女性は、この荒波に恐慌になるかと1つ横から大波を食らわせて様子見するもぶれない。やるじゃないか。あとは、彼女がエネルギー不足しないよう一瞬の休憩を挟めるかどうか。荒れていても少し凪いでいる(これは海を漕いでいる人しか分からない表現)場所に入れて「いますぐ何か水分と栄養を取れる?」と聞く、デッキに置いていたリンゴを10秒間まるかじり。その間、私がバランスと推進力を担いながら「行けます」と彼女が叫んで再び2人で漕ぎ出す。
無事に横浜町の漁港付近へと辿り着き、漁港で上陸後は回送のため私は離脱。海遍路の副長に漁協挨拶をしてもらうと、「こんな海でよく来たな」「無謀な」と様々な意見をいただいたようで。もう1つ告白すると、こんな荒れた海では漁師も船を出さないだろうから、船舶の避航を省けるだろうと考えていたので、結果的に予定通り正午に着陸できたのです。
これを、未だチームワークが作られず陸奥湾という海域に適応していない前半に向き合うとすると成功しなかったでしょう。いつも私が思い描く孟子の言葉「天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず」です。
無事に横浜町へと辿り着けば、あとは天と地が味方してくれる終盤。そして、田中先生と再会の6日目。隊長として全権もって引率しなくても良さそうなので、代わりに19歳の青年にメンバーを引率するリーダーを託してみました。シーカヤック指導の資格は持っていても海の経験値が足りない彼にとって、ちょうど良い修練場です。
田中先生と同乗して追い風に乗り南下する遊覧飛行さながら、リーダーの采配に黙って従いながら、初めてリーダーを担う孤独を彼の背を見て感じていました。あぁ分かる分かる、ここで休憩入れるか悩んでいるね、この針路が正解なのか迷っているね、所作で全部分かります。6日目のゴール野辺地の街が見えてきて「街の左端を目指します」というリーダーに「左端ってどれ?」と小姑のような私。海図を見て地形を見て悩み抜いて見事ゴールへと導いた彼へ皆で祝福し、その後オーバーワークでテントで臥せ翌朝まで起きて来なかった青年は、これから素晴らしいリーダーになることでしょう。
さぁ、念願の夏泊半島への最終日。「陸奥湾といえばホタテ」と言われるほどの水揚量だった昨今、ここまでの航程でホタテ筏が1つも見当たらなかったので、最終日は見られるではないかと淡い期待を胸に浜辺にいると、話しかけてきたのは出勤前の60代男性。趣味で2馬力ボートを使って釣りを楽しんでいるようで「野辺地の西、馬門のあたりはホタテの養殖筏あるよ」と「こんなん(シーカヤック)で夏泊半島まで行けるなんて、人生で初めて知った」と離陸。
この朝は気温が8℃と肌寒く、海遍路初日24℃となった頃と比べ、1週間で大きく季節が移ろいました。いままで眺めてきた海岸線が浮島現象(水温と気温による蜃気楼)となるのを眺めながら、先ほど聞いた馬門へ来ると、遠くからエンジン音。ちょうどホタテ養殖筏の準備のようで、ようやく漁の準備をしている光景を見られることができました。休憩で上陸した浜を見ると、ホタテの貝殻がちらほらと。ここ10年間、海水温の上昇によりホタテ漁も危機に瀕しているということですが、冬に向かって海水温の低下に伴う養殖は軌道に乗るのか…フォーラム中止となったので続きが追えずに残念。
向かい風を地形でいなしながら、見覚えのある景色。夏泊半島の起点、椿山へ帰ってきました。毎年海遍路を終える瞬間は淡々としてましたが、なんだろ今回は叫んでも良さそうな気持ちになるのは。きっとカヤックでの漕行距離160㎞に対して、車で回送した走行距離1600㎞だったからでしょうね。私が隊長のときは、もう二度と湾一周のような海遍路はしないと心に誓いました(他メンバーは海辺の話たくさん聞いたと思うので彼らのレポートに期待)
当初の計画とは異なり(狭義としての)陸奥湾一周となりましたが、やはり連続して漕いでみる海岸線は魅力的です。瀬戸内カヤック横断隊の隊士とも計3人で会えたのは素晴らしい瞬間でした(差し入れ有難うございました)
そして、今回は10代から80代まで年齢関係なくフラットに海と向き合える時間となりました。海抜0mという環境だからシーカヤックという存在が公平性を生み出すのか、だからこそ互いに見える世界を共有していけるフラットな関係性は魅力的です。そして、その関係性を下支えいただいている副長に感謝申し上げます。
1人で漕ぐより誰かと一緒に同じ海岸線を眺め旅する、もしかしたら魚は減少し海は滅びるのかもしれない、地元の人が旗振りして立て直す、自然治癒力を後押しする…どこもかしこもエンクロージャー(囲い込んで管理したがる)な世界となってきましたが、この形のない海遍路を多くの方々と共に50年間つづければ形が見えるのかなと期待しているのです、今の隊長である私が描く先の世界は。


