北上川200kmをSUPで旅する 2 – 北上川と兵站と –

盛岡から石巻へ。春の雪解け水で満ち満ちた北上川に、みるみると我々は流されて早々に紫波町へと移っていった。



旅と兵站
北上川は大河であるため、河川敷から川面へのアクセスルートに制限があるのだが、川旅中にアクシデントが発生した際に上陸してエスケープできるルートを可能な限り事前に見つけて地図へ落とし込んでおいた。スマートフォンで航空写真を見るだけでなく、事前に下見をしながら現実を地図に叩き込むアナログな作業時間を私は大切にしている。
そういうエスケープルートの点と点を結んいくと安全に旅ができる線になり、これを昔から兵站と呼ばれてきたが、戦争用語なので現代では毛嫌いされてきたのだろうか。
ここ紫波町の現在の中心は紫波中央駅前に役所やホテルなどが一箇所に集まった複合施設オガールなのだが、803年に建てられた志賀理和氣神社も北上川から見るとシンボリックだ。志賀理和氣神社(しかりわけ)は、平安時代初頭に蝦夷討伐の基点として征夷大将軍坂上田村麻呂によって東国の神々が勧請されたことに始まる。
神社というのは現代において信仰の対象となる場所であるが、当時は食料備蓄基地や軍隊を安全に集結させる場とである兵站(Logistics)として戦争遂行にあたり機能していた。そのため、残された神社の位置から当時の兵站を窺い知ることができる。ただし、兵站というのは死語にあらず、これはアウトドアにおけるツーリングも同様の考え方のはずだ。非常に居心地が良い川原を私は兵站と考えている。紫波も北上川旅の兵站としては、今後も期待されるだろう。

瀬を越えて花巻まで
悠々と紫波を過ぎ南へ南へと伸びてきた北上川は、この先で東へと大きく蛇行し次いで西へと向きを変えることが地図を眺めて理解できた。こういう地形の場合、必ず大きな瀬が待ち構えているはずだ。春先の雪解け水に落水したら、この先の旅路に支障を来すので、ボードの上に立ち流れながら慎重に先の様子を見る。
急激な落差があるが、荷物を載せたまま上手く通過できそうだ。私から先に入り問題なく通過。遠藤さんの無事を瀞場で見届けて先へと進む。
東北新幹線の架橋を過ぎたあたりで、石烏谷の穏やかな水域へと入った。瀬を越えて安堵したところで、流されながら休憩としよう。

当初の予定では、盛岡から花巻までの40kmを1日で進む予定であったが、なんと4時間ほどで到着してしまいそうだ。花巻でランチを迎えて、その先に進むには程良い旅となりそうだ。
