伊豆の水旅 2 – 狩野川をファルトボートで旅する –

 私は神奈川県横浜市を拠点とするNPO法人横浜シーフレンズというカヤックチームの理事長を務めているのだが、そのチームには幾つか部活があり、ファルト部というチームの活動に案内人として関わっている。カヤックに憧れるも日本の狭い住宅事情では長いカヤックを保管することができない大人たちは、代わりに折り畳みができるカヤック 通称ファルトボートを購入する傾向がある。ただ、ファルトボートの利点でもあり難点でもある組み立てに悪戦苦闘し、家の肥やしに成り下がる傾向もある。

 家に眠ったファルトボートを活用しようというコンセプトで2023年に始まったファルト部は、本栖湖や中禅寺湖など1泊2日のスケジュールで楽しく過ごしてきた。

 ファルトボートというと、その第一人者に野田知佑氏が挙がるのだが、そのコンセプトは川の旅である。やはりファルトボートを使うなら、と私が妹尾部長へ提案したのは狩野川での小旅行であった。

ファルト部はじめて川を旅する

 2024年5月の平日、狩野川中流域の韮山に集合した横浜シーフレンズのファルト部5名。韮山をスタート地としたのは、ちょうど2年前に妻と旅した際に、頃合い良い地点を幾つか目星を付けていたのだ。

 それから、ファルトボートを組み立てる人と、車をゴール地点へと回送する人とに分け、私はゴール地点である沼津港へと車を走らせた。

 この界隈出身の肉田部員によると、40年前は三島(新幹線が停車する)よりも沼津のほうが活気があったそうだが、沼津駅周辺は現在廃れてきている。一方で沼津駅から2kmほど南へと離れている沼津港は、魚市場に隣接して食堂や駿河湾の深海魚を展示する水族館などが集い、活気あふれる海の街で居心地がいい。ゴール地点は肉田部員の推薦で、魚市場とした。

 韮山へと戻ると、完成したファルトボートの前で、ひと仕事終えた部員がビールを飲み干していた。

ファルトボートの組み立てで一仕事を終えた感あり

 しかし本命は、これからの川旅である。まずは、川の危険な場所、休憩して良い場所を私がレクチャーし、いざ狩野川の流れへと漕ぎ出す。新緑の景色の中へと、我々の感覚は没入していった。

川の駅で休憩、柿田川と合流

 先導する私がファルトボートではなくSUPを使用しているのは、ひとつ視点を高くし迫る浅瀬を予め回避する航法を取るためである。ファルトボートは本来のカヤック(アリューシャン列島に住むウナンガンが使用していた獣皮舟)を模して、アルミ製の骨組みにナイロン製の皮を被せてある。そのため、浅瀬で岩などに引っ掛かると皮が破れて、浸水し沈没する可能性があるものだ。私の後をカルガモの親子のようにファルトボートが隊列を成して付いてくれば、安心して危険箇所を回避できるということだ。

 韮山から函南までやってくると、川の駅。ここまで順調に川の流れを楽しめる。

 簡単な休憩を終えて、さらに下流へと漕ぎ出す。狩野川は北へと向かう流れのため、圧巻な富士山を正面に眺めながら漕ぐという贅沢な時間だ。

まだ冠雪している5月の富士山が1年で最も美しい表情だろうか

 この先、かつて戸倉城があった谷間を抜けると、狩野川は柿田川と合流し、西へと流れていくこととなる。柿田川は、富士山麓を水源として南下し狩野川と合流するのだが、柿田川の冷たい清流を求め人々は水を汲みに来る。田んぼの水で濁された狩野川の水質と、透き通る青色の柿田川の水質は、合流部で混ざらずに、ようやく数百メートル下流で合流するのも見所の1つだ。

黄瀬川の難所、そして沼津へ

 柿田川と合流し西へと流れる狩野川の正面にはシンボリックな香貫山が露わとなった。

正面に見える香貫山は沼津アルプスの北限でもある

 付近の高等学校の漕艇場も河岸に現れ、流れも緩やかとなってきた。部員たちも川旅の本質に浸っているところだ。
 ただし、香貫山から北進し黄瀬川と合流すると、難所が現れる。

 黄瀬川は、平家打倒のために立ち上がった源頼朝の元に、異母弟である源義経が駆付け涙の再会をする舞台であるのだが、黄瀬川と合流した狩野川は、その後の兄弟仲のように荒々しい姿をしていた。

 まず他の部員を上流側の穏やかな水域で待機させ、毒味役として私が川を下ってみる。ある程度下れるルートを見出して、下流側から私が上流へと合図を送り、1人ずつ下り始めた。ところが、思ったよりも長い瀬であり、まだ瀬の中盤で合図をしたため、瀬の後半を各々で下り始めることとなった。出口部員は川の中央から右へと抜けるルートを取る最中、川の中央に出る岩にファルトボートごと張り付いた。

 体制を立て直し、出口部員を私のSUPに乗せて、私が出口部員の壊れ気味のファルトボートに乗り変えてみた。体重差は20㎏ほどある(私の方が軽い)ので、浸水することなく穏やかな場所へと全員で辿り着くこと河口の沼津へやってきた。

 河口の沼津魚市場に辿り着いた頃には、みんな達成感と疲労感で満ち足りていた。
 そして、ファルトボートを畳んで仕舞うまでが旅の一環でもある。ファルト部一同、疲労した身体に鞭を打ち、畳みながら家路に就くのであった。

昼過ぎの日射で乾かしてから車へと詰め込む、支度も片付けも旅の一環でもあった