鬼怒川120kmをSUPで旅する 6 – 3日目は暖かい早春賦を –

鬼怒川旅も3日目。ホテルで身体を休めたおかげで、すっきりとした朝を迎えられた。
ホテルをチェックアウトし、SUP機材を置いてある川原へと歩く。昨日は日没を迎えてから石下の街へと入ったので気が付かなかったが、「一人娘」という日本酒をの蔵元が常総市石下にはあるようだ。昨日の時点で気が付いていたら、昨晩は楽しい地酒を一献できたというものを…旅人としては半人前と痛感した。
3日目からは、栃木県矢板市でカヌーインストラクターや野外体験などのプログラムを務めている「オムーチェ」代表の漆原 邦和氏が合流し、4人で最終日を進むこととなった。

鬼怒川の旅は、坂東武者魂と共に
3日目も心地よく川へと離陸…したいところを堰に阻まれることとなった。仕方が無いので機材を持って川原を歩き、上手いところ下流側へ降りられる場所を見つけ、出鼻を挫きながら旅は始まった。

ここ石下から常総にかけては、平 将門 公ルーツの地のようだ。
平 将門 公は、平安時代中期に関東地方(当時は坂東)独立を企み天皇家への反逆をして討ち取られた坂東武者であるのだが、その首は京都で晒された後、飛んで坂東に戻っていったそうな。首塚は東京駅すぐ近くの大手町に現在もあるが、ビル乱立する中その首塚が残されている理由は首塚を退ける度に事故が起こるという曰くがあるからだ。
その日本を代表する怨霊である平 将門を英雄と呼ぶのは関東平野にルーツを持つ坂東人。私を含め坂東人は、なにかしら反抗意識が高い。だから、こんな堰がたくさんある鬼怒川を漕いでいるわけであるが…

そんな反抗意識たっぷり旅路も今日で終わりだ。ちょうど朝の通勤ラッシュの時間で橋を過ぎる頃、多くの車が橋で渋滞していた。ざまぁみろ!と叫び、我々に息づく坂東武者の咆哮に将門公の遺志を確認した。

春の訪れを告げる鶯に元気をもらう
川の傾斜が緩くなり平野部の街が接近してきたからか、鬼怒川に架かる橋と橋との距離が短くなってきた。いよいよ2015年に水害が発生した常総の中心を過ぎていくこととなる。
水海道大橋を過ぎると右岸には工場群、それを守るように象牙色の巨大な堤防が見えてきた。

豊水橋の下流の堰を上手く回避して、意気揚々と進む。常総市役所を最寄りとする地域なので、両岸に活気を垣間見る。

この日は、3月1日。鬼怒川ではサクラマス釣りの解禁となる日だ…と2日前に会った深澤センパイが話していたが、まだ釣り人の気配はない。
一方で、感じるのは春の気配。気温18℃と暖かい気候に、鶯たちが一斉に囀り始めた―――美しい早春賦。
