鬼怒川120kmをSUPで旅する 5 – 強固な治水城塞が続く茨城県へ –

さらば栃木県、そして茨城県へ
栃木県と茨城県は犬猿の仲だ…と昨今テレビで取り上げられて、互いの県を代表するグルメバトルなどタレントたちが面白く紹介するテレビ番組が盛んだ。東京から日帰りもしくは1泊2日で往復することもできる距離だから、経費削減の時代にとって取り上げる話題としては楽なのだろうが、互いを競わせて相互の魅力を引き立たせる作戦としては功を奏している。
ときに川は県境として古より機能してきた。英語で川を意味するriverの元となるラテン語では、同時にrival(ライバル)を意味する言葉となる。つまり川を境にライバルが常に発生し、場合によっては水利権や漁業権で血みどろの戦いが発生してきた。
特に大河は地理的にも境界線として設定しやすいが、栃木県小山市と茨城県筑西市の県境は鬼怒川に沿って設定されていない。陸路で川沿いを走ると、車から県境を越えるアナウンスが乱発され、やたらとうるさい。だらだらと入り乱れる県境の狭間を出入りしながら、川を南へと進む。


平野部の街へ – 鬼怒川下流域の宿命 –
国道50号線を越えると、鬼怒川は栃木県の領域から完全に外れ、茨城県の平野部を緩やかに南へと注ぐこととなる。
ところで、茨城県の県境付近から気になってきたのは、鬼怒川の河川敷の広大さと、堤防の高さだ。
ここ下館から南に下妻、常総と平野部の街が続くのだが、2015年9月に発生した鬼怒川決壊により再度決壊に怯えている地域である。この地域の西側に鬼怒川が流れる一方で、その東には小貝川が流れている。小貝川は八溝山地の麓である市貝町より始まる川なので鬼怒川の源流とは離れているが、下流域になると鬼怒川と地理的に近くなり、その付近では鬼怒川同様に暴れ川となる。つまり東西を大河に挟まれた地域に住まう人々にとっては、”前門の鬼怒川”、”後門の小貝川”いうところだろうか。
旅のはじまりでは遥か彼方に二子山として見えた筑波山も、下館を過ぎると目の前に迫り山の形が変わってきた。筑波山の西側である筑西まで漕いできたという証。

すると、高々とそびえる堤防の上から我々旅人を呼び止める声が降り注いできた。
遠藤さんの知人であり、森林政策を宇都宮大学で研究している山本美穂教授が応援に駆けつけてくれたのだ。森だけでなく流域として舟運利用や生物循環へ着目しているためか、こんな稀有な旅路は大好物だそうだ。旅路も後半戦になってくると、疲労で心が落ち込みそうになる頃…やはり沿川からの応援は、励みになる。

日の出から日没までスケジュールギリギリ
応援をいただいたとはいえ、日が傾いてきて焦ってきた。今回、川旅初めての奥家さんにとっては辛くなってきた時分だろう。
川旅で最も時間を要するのが堰などを越えるポーテージなので、全員で足並み揃えて漕いで堰で足止めを食らうと、間違いなく日没を迎えてもゴールができない。そのため、私が先頭で漕ぎ進み堰があったら攻略方法を検討しながらポーテージを行い、後続2人を待つという体制としてみた。黙々と先導する私と最後尾の奥家さんの中間に遠藤さんを配置することで、奥家さんの心が折れるの予防するという段取りも含んでみた。
予想したとおり下妻の街に近づくと堰が設置されていたので、様子を見ながら上陸し、ボードと荷物を下流側へと陸側から運搬して2人を待つ。

2人を誘導し、無事に石下へと着いた頃は、またもや日没前であった。1日目も40㎞の道のりを8時間漕ぎ続け、2日目も40㎞の道のりを8時間漕ぎ続け…石下の街で居酒屋へと入り英気を養い、ホテルでしっかりと睡眠を摂る。さぁ、いよいよ最終日だ。
