若狭湾お遍路 – 下見撤退編 –

楽しい夜を経て、残る海岸線を巡る海遍路の下見最終日。目指すは敦賀
神々しいかな、常神半島
小浜の青海さん宅を後にし、さらに東へと進む。
小浜湾は、上海蟹のハサミに包まれたような形。東西から突き出した岬で、小浜湾の口は狭く、湾奥へ向かい広がる港に適した湾だ。
この小浜湾の東側の岬に山があるので、エンゼルラインなる坂を上がり、山頂から東を望んでみよう。

加尾、田烏と良港が続く。その先に常神半島があった。
常神半島には、神子、常神と、何とも神々しい地名が続く。
ここ常神半島と、その向こうに隠れる三方五湖を中心にカヤック活動をしている湖上館の田辺氏へ挨拶。もしもカヤックでエスケープする際の情報収集…
その後、常神半島へ入ると、神子の港では山桜が咲き誇る。ここが1番の花見スポットだ。
陸路で常神半島を探ると、半島の西側しか道路が敷かれていないことが解る。半島の北端、常神まで向かうと…なんというか神秘的な…閉鎖的な雰囲気が残っていた。こういう水辺をカヤックで旅するときは、村八分にならないよう注意が必要だなと察知。

ようこそ、原発銀座へ
常神半島を越え、もしかしたらエスケープポイントになるであろう海岸線を散策。美浜町へ入った。
ここ美浜町から、敦賀半島までにかけ、なんと原子力発電所が3つも点在する。まさに「原発銀座」
どんな世界なのかと、覗いてみる。案の定、きれいすぎる海と、無機質な建造物の妙な世界へ引きずり込まれそうだ。関係者の車たちは一様に同じ顔…早く現実世界に戻りたい、そんな本能が働く。

退き口は、敦賀金ヶ崎より
なんとか、原発銀座から脱出してきた。あぁ…何かを拭い去りたいという気持ちで、敦賀の街へ流れ着く。
敦賀は、往年の港町である。今から100年前は、海路で満州国やソ連とも繋がる日本随一の港であった。その名残を確かめながら、ゆっくりと歩み、ケガレを脱ぎ去っていこうか…

もそっと敦賀の歴史を巻き戻してみよう。
あれは、西暦1570年の頃であったか。当時覇権を競っていた織田信長が、ここ越前の朝倉家を滅ぼそうと敦賀までやってきたとき、信長の義弟・浅井長政が寝返り、挟み撃ちの計と相成った。羽柴秀吉や明智光秀が殿(しんがり)となり、命からがら京へ帰還した信長。ここは、退き口の舞台。さて、下見を終え、無事に関東へ我も退こうか…
