伊豆諸島単独漕 – 漂着 –
遥かなる利島
初夏の暖かさをも冷やす向かい風に耐え、ついに新島の最北端までやってきた旅人の前に、試練が待ち構えていた。
新島から利島(としま)まで10kmの渡航。
そのちょうど中間に鵜渡根島(うどねじま)という無人島が浮かんでいる。
まずは、鵜渡根島まで渡り休憩し、利島を狙う。そんな簡単な計画ではなかったと、すぐに痛感することとなった。
シーカヤックと飛行艇
「シーカヤッカーは飛行艇乗りである」という話を聞いたことがある。
特に島渡りでは、飛行艇乗りの気持ちをよく理解できる。
島の岸沿いを漕ぐときは、海岸線の形状や風波を理解していけば、次の旅先まで渡航できる。陸地が近いこともあり、すぐに逃げ戻ることができるから不安も比較的抑えられる。
一方、飛行艇乗りが高度を上げて果てない町まで飛んでいくように、島から遠く離れると不安に駆られる。
剥き出しの大海というアウトドアに心身を曝すからだ。もし、ここで海が荒れたら逃げ込む最愛の陸地は近くにないのだ。
そして、この“高度”を維持することが困難を伴うということは、すでに二度の島渡りで経験してきた。
しかし、この利島までの渡航は想像を絶する乱高下が待っていた。
前回も記載したが、島渡りの基本は、舳先(へさき)に渡航先の目標物(山頂や建物)を見据え、艫(とも)に離陸する島の目標物をあわせて、その直線の中を渡っていく。
新島を離れ、まずは正面の鵜渡根島へ舳先を添えて渡っていく。
すると、どんどん西へ西へと流されていった。
正念場
西へ西へと太平洋の彼方へと流され始めたシーカヤック。
黒潮こと日本海流の影響もあるのか、潮流が速い。
ただ、この島渡りの最中、必ずどこかで潮流の影響を受けねばならなかったのだ。
潮が動きを止めている時間は、そう長くはない。動き始めた潮に乗ったのが、想像の遥か上の威力であった。
舳先を東へと向けた。川幅5kmの大河を上流へと横断していくように、鵜渡根島を狙った。
先ほどまで真後ろにあったはずの新島は、右後ろだ。気を抜くと大洋の何処かへと連れ去られてしまう。懸命に漕いだ。
イルカはいるか?
こんな強烈な海の下には、ある生物が優雅に回遊している。
伊豆諸島では、ミナミハンドウイルカという比較的人懐っこい海獣が棲息している。
もっと南の御蔵島(みくらじま)では、個体数が最も多く、研究者や愛好家が通う場所であるが、御蔵島を基点に北上するグループもいるようだ。
小笠原群島から北の伊豆諸島へと連なる火山列島沿いは、鯨類の棲息域。東京湾へも通じる南北のルートに乗り、たまに大型の鯨が湾内で座礁(ストランディング)することもあるのだ。
ここ利島から鵜渡根島にかけての海域も、その棲息域の1つであり、利島では“ドルフィンスイム”が観光産業として成立している。私もそのリピーターの1人である。
カヤックからイルカを探す。これは以前にも経験があるのだが、難易度が高い。
それでも、同じ海洋哺乳類として巡りあいを期待しながら、鵜渡根島周辺を少し遊走したが、発見できず。
なにしろ強烈な潮流と北東風を恐れていたので、島を1周するということを諦めていた。結果的に島の反対側に数頭確認したということを、後日聞かされることに…
目指すはトンガリ山
イルカ探しを諦めた私は、標高500メートル級の尖った宮塚山を照準をにあわせ、鵜渡根島を離れた。
コンパスの針は0°ーーー真北だ。
今回渡ってきた島々の形状の中で、利島という島は、ご飯茶碗をひっくり返したように、上空から眺めると円形をしている。
港は唯一北の前浜港のみ。他は断崖絶壁の人智が及ばぬ世界である。
これは、黒潮こと日本海流が数千年をかけ、削ってきた証だ。
そのため、真南から利島を目指す旅人にとっては、北の港を目指すには、東側か西側から島を半周せねばならない。
私が迷わず西側から時計回りに進路をとったのは、強い北東風を恐れたこともあるが、強烈な潮流が南東から北西へと流れていたからだ。
上手く利島の西海岸に漂着し、そして島影で風を遮る。
そんな考えを瞬間的に閃くことができるようになったのは、この1週間近い島旅の成果だ。感覚が鋭くなっていく。
「ゴォー」っと水飛沫を上げて、カヤックの西側を滑空していくのは、東海汽船のフォイルジェット船だ。
東京湾から神津島にかけての海域で、最も気をつけなければならない船舶だ。なにしろ時速80kmで走行していく。怖すぎる。
ウミガメの呼吸
時計回りに利島を漕ぐ。
時刻は14時を過ぎたところか。まだ日は高い。
漕いでいると「ファ~ッ」と音が聞こえた。
振り返ると、水面に大きな波紋ができていた。アオウミガメが呼吸をする音だ。
伊豆諸島から東京湾口にかけての海域は、アオウミガメの棲息域。
アカウミガメよりも首が短いので、アオウミガメの呼吸はカヤックの上から探すのに時間がかかる。
写真を撮ろうと思うも、島にあたる波に揺れる海面。集中できないので、諦めた。
利島漂着
利島の北海岸までやってきた。
ここに利島唯一の港町がある。
その西側の堤防に、カメラを持った1人の女性が立っていた。
水中写真家の高縄氏だ。
実は、新島北部の集落である若郷(わかごう)で休憩をした際に、連絡しておいたのだ。
彼女の方へ向かい、しっかりと漕いで行く。
優雅に漕いでいるようだが、逆向きの潮流の影響で、なかなか進まない。
すでに15時半…西日を背中に浴びながら、利島前浜港へ到着した。
いや、漂着という表現が正しい。それだけ、潮流に悩まされた1日であった。