早稲田大学探検部 × シーカヤック – first glide –

早稲田大学探検部 × シーカヤック – first glide –

 過酷な夏を経て、秋に仕上がってきた学生は3名。小笠原 陸、彼の同級の小松 陸雄、そして女学生・西川 留萌の3名だ。彼らの目標である「瀬戸内カヤック横断隊」まで、あと1か月ほどか

 最後のトレーニングは、1泊2日のツーリング。横浜を発ち、三浦半島をぐるりと廻り、葉山もしくは逗子へとゴールする70㎞コースだ。1日40km漕げないと、瀬戸内カヤック横断隊では置いてきぼりになるかもしれない。さて…

探検部、横浜を発つ

 横浜の蒔田公園に早朝集合(しかし遅刻の者あり、こういった生徒指導も込み込み…)
 キャンプ道具や食材をカヤックにパッキングし、横浜港を南へと出航していった。

工業地帯に囲まれた根岸湾、この日は穏やかであった

 ベイサイドマリーナを通り過ぎ、東京湾を南へ南へと潮に乗って進む。緩い追い波にしっかりと押されないと、三角波に翻弄されて失速してしまうから要注意だ。

 スタートから24㎞の観音崎までは、潮に押されて進みたかったが、ここで遅刻の代償…猿島付近より潮が転流してきた。追い潮を使いたければ、猿島の沖側(東側)を通航すると良いが、猿島の西側へと逸れ、反転流を使いながら岸沿いを観音崎に向けて…ま、ここでラインを引くのが私なので、彼らは気にしているのかどうなのか…

 観音崎で上陸休憩(トイレもある)し、浦賀、久里浜を通り抜ける。ここは船舶が多いので慎重に、しかし素早く。

久里浜港の入口は、だらだら漂う(遊走)することはできない

 久里浜の南には、緩やかな弓形の海岸線を持つ金田湾がある。その北の入り口には、水面下に堤防が、波に見え隠れしながら横たわっている。気が付かないと全滅しかねないポイントを大きく躱し、広々とした金田湾へと入った。

久里浜南に隠れる堤防。潮が高い時間でも必ず顔を出す罠だ。沖へと迂回することをオススメする

 ここで小松が、” トイレ休憩 ”を申し出た。トイレットペーパーを持ち、1人いそいそと岸へと漕ぐ…我々は遠く沖からじっくりと見守る…

 金田湾は、程よく夕景が広がり始めていた。
 弓形の海岸線に沿い、北風を交わしながら、三浦海岸をベースに活動するフラットフラット(Flat Flato)の楠 項太氏(コータさん)が出迎えてくれた。正確に言うと、彼が企画した焚火イベントが開催されている海岸にゴールしたのだ。

 こうして、私が、”コータさんとこの前浜”と呼んでいる菊名海水浴場にて、1日目を終えた。
 オトナたちに囲まれながら学生たちと焚火で暖と食事をとる。終えて、コータさんと0時近くまで焼酎のお湯割り。

探検部、三浦半島を旅す

 2日目の朝を海岸で迎えた。たしか6時起床で朝食を各自作り、7時30分に離陸…という予定であったが、誰1人起きてこない。昨日から北風が肌寒さを感じる10月の終わり。寒いな、テントの前室に下半身突っ込みながら、朝ごはんでも作っていよう。

 学生が1人テントから出てきた。紅一点の西川…一度だけ大遅刻をしたことがあり、ビシッと叱った以降は、時間に厳しく行動していた。テントの中から彼女の動向を眺めていよう。

 朝食を作るにも、風に晒されながらバーナーで調理しようとしていた。ようやく男子学生どもが起きてきたが、全員で風の中、調理しようとしていた。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉は何処へやら…すぐ数歩先に程よい風裏があるというのに…

 浜にコータさんがやってきた。見兼ねて学生たちに注意しようとしていたのを密かに留めて、学生たちが調理終えてからスタートで…というスケジュールとなった。

 2日目からは、コータさんも参戦。彼が拠点としている三浦半島だけでなく、逗子から葉山まで勝手知ったる案内人をサポートに…非常に頼もしい。

菊名海岸、通称コータさんとこの前浜でスタート前のブリーフィング

 ようやく、離陸。時刻は10時近かった。
 風は、北よりの東風といったところか。つまり、最初に目指す雨崎までの約3㎞の航程は、左側から波と風を受ける状態。丁寧に漕ぎ進めて雨崎、そして剱崎を目指す。

雨崎から剱崎までは追い風、うまく波に乗り漕ぐこと、ひっくり返されないこと

 白く大きな剱崎灯台を右手に通過すると、東京湾から太平洋(正確にはフィリピン海)へ入ってきた証だ。
 ちょうど2つの異なる海がぶつかり混ざり合う海域は、良好な漁場だ。海面には魚たちが蠢き、上空から海鳥たちが狙っている。荒々しくも生き物たちの躍動が感じられる気持ち良い海だ。
 ”なぶら”という魚たちのリズムにあわせ、漁師たちが動く。そのため、漁船の動きに注意しなくてはならない海域でもある。

 城ヶ島周辺で、早い昼食を食べて、城ヶ島の南側を時計回りにツーリング。
 城ヶ島の北に三崎港との水路があるが、港を利用する漁師や地元の人々は、カヤックの水路利用を快く思っていない雰囲気がある。おそらく、水路を通る無作法な水上バイクや、航行能力の乏しく漂着してしまったミニボートなどと一緒くたになって思われているからだろう。
 そんな事情を考慮して、シーカヤッカーは城ヶ島の南を通る方が多い。嵐を避ける術をよく知る海の旅人、シーカヤッカーならではのノウハウだ。

 大海原に剝きだされた南からのうねりで、荒々しく弾ける海となりやすい城ヶ島の南、この日は海面は穏やかだ。北から東へと回り込む風のおかげで、難なく通過できた。北から東、そして南へと回り込む風、上空に高気圧が通過していくせいだろう。

こういう海面をチョッピ―(choppy)という。意味通り、まとまりのない波の中を丁寧に漕ぎ進める

 城ヶ島を西へと回り、三崎港の入り口で航路横断、荒井浜を目指す。
 荒井浜を南に持つ油壷、ここには16世紀まで城があった。相模湾から東京湾にかけて大勢力を誇った三浦水軍の根城。その南北には各々入り組んだ湾が控え、水軍を隠すには絶好な立地だ。『海上戦略史論』(アルフレッド・T・マハン)の愛読者としては欠かせない海域だが、入り組んだ湾を楽しむ時間は無い。荒井浜にある公衆トイレを利用し、さらに北へと進む。

 荒崎を目指し、小田和湾を横断する。この横断が、いつもツライ。左の沖からは漁船が随時帰ってくるため、避航しては針路を立て直し…の繰り返しだ。

佐島の水路まで逃げ込むと、人心地がつく

 もう16時を過ぎたが、重要なことを学んでもらわねばならない。彼らに針路を任せる、ということ。

 小笠原をリーダーに指名した。リーダーは決断するのが仕事、情報を抱え込まずメンバーに共有して意見を相互展開して、最後に決断する。
 彼は、1度経験したことがある海域…佐島から大浜まで。彼がどんな判断をしようが、引っ張ってもらおうか。

気持ちの良い夕凪でしょう

 長者ヶ崎を時計回りで迂回して、大浜へ到着。時刻は日没間際だった。

こうして、横浜から葉山大浜まで2日間で合計70㎞を漕破した

 横浜へとカヤックと学生たちを回送し、片付けを終えて彼らに問うた。

 「3人とも横断隊参加しても良いレベルだ。あとは各々の意思表示を」

 男子学生は参加、一方女学生の西川は「精進してから行きます」と見送った。

 モッタイナイな…と思う反面、自ら決断できるという強い意志、それを軸に身に着けていた。大切なのは、それだ。