上京~三郷から豊洲へSUP~

上京~三郷から豊洲へSUP~

2017年11月24日

我々Canalistは、SUPで栃木を発ち、いつかの水運ルートをなぞり、無事利根川沿川の街「五霞町」へと辿り着き、1つのプロジェクトが終わった。

しかし、これは新たな旅の序章に過ぎなかったのだ。

水の結節点「江戸」

東京。日本の首都であるこの街には、多くの河川が流入する。
19世紀中頃まで江戸と呼ばれた街の経済を支えたのは、水運である。
西から東から海を通って江戸へと運ばれるルート、そして川の上流の都市と繋がり、河川を使った定期的な水運が発達したのだ。

2017年11月25日、前日40㎞を漕いだ反動で“灰”となりつつあったCanalistたちと共に、私は「荒川知水資料館」を訪れ、改めて江戸への水路を想像したのだ。

利根川と江戸川、その中流域を結ぶ「利根運河」の市場で、朝食を噛み締め、精を付けるCanalist

「いつか、きっと江戸まで下るぞ」
その誓いは、意外や私の転勤話で、早く実現することとなったのだ。

目指すは江戸

季節は移り、2018年3月23日
三郷中央駅から降り立ったCanalistは、悠々とスタート地点へと向かう。
心が折れるほどの長い距離を漕ぐと、「浦島太郎」のごとく老け込むが、それを繰り返すことで、死線を越えたプレイヤーとなってくるのだ。

冬を越えたCanalistの背中は一段とたくましくなっていた

さて、前回と異なる点は、自転車での”現地下見”をしていない、という点だ。
情報として頼りにしたのは、Googleマップのみ。
前回とは、準備にかける日数も短縮し、安直にスタート。そんな日もあっていいのではないか。

装備の載せ方も手慣れたもんでござ~い

きっと江戸までつながっているはずの水路「第二大場川」を恐る恐る漕ぎ進めると、いきなり難関にぶち当たったのだ。

“死の水辺”からの脱出

積載した船を陸揚げして次の水辺まで運ぶことを「PORTAGE(ポーテージ)」という。
このポーテージほど面倒なことはない。なにしろ船の重量に加え、積荷も共に運ばねばならないから、陸上での運送は極力避けたいのが、文明改革以前の考えである…
が、しかし、現在ここSUPにおいてポーテージが多発した。

まず、今回の旅路は下見をしていないという前提で始まったものだが、こうもGoogleマップが通用しない水辺とは、古今東西この三郷周辺だけであろう!といっても過言ではない程、水路に裏切られたのだ。

まずはオレンジ色のオイルフェンスを越える。
ゴミを入れない工夫のため、つまり舟は通れないのだ
水路の交差路
いずれもブイもしくは水門に閉ざされる”袋のネズミ”状態
これが、現代の水旅人への仕打ちなわけだわ

 閉ざされた”死の水路”から、命からがら乗り越えてきた先には、三郷放水路が待っていた。

「きっと春の桜はきれいだ…」
そう話していた水路は、あえなく水門で閉ざされた。
“断絶”が、都会の水辺のテーマなのだ

生きた水辺への逃避行

ポーテージ道中の菜の花が鮮明に目に焼き付ける
疲弊した状態で、ようやく江戸へと繋がる水へ繰り出したのだ

なんとか中川へと入ったCanalist

疲弊した状態で、ようやく江戸へと繋がるであろう水へ繰り出した。

ホッと安堵する小春日和
そう、本来であれは涼風に背を押されて進む順行スタイルなのだが、”陸のロジック”に阻まれたのだ。


 ようやく開けた中川を、まさに”水を得た魚”のごとく、嬉々として漕ぐ
橋は徐々に低くなってきた。この橋を抜ければ、首都高下の綾瀬川へと抜ける花畑運河

水上の談義も冴えわたる。うん、このまま無事に綾瀬川に入り南下すれば、お江戸も目の前よ…そして、現実を知る。