伊豆諸島単独漕~序章~

伊豆諸島単独漕~序章~

旅の前は、いつも憂鬱

「水旅紀行」と称し、日本全国の水辺を旅している私。
季節に合わせ、各地の知人を訪ねて共に漕ぎ、共に食事をすることが、私にとっての「新年の挨拶」のようなものだ。
おかげで、ほとんどの知人から「旅慣れ」「旅好き」と思われているが…

実は、旅の前は憂鬱
自ら計画しておきながら、突如として出不精な気持ちになってくる。
旅が始まれば、目の前の荒波を越え、その先で知人と飲み明かす楽しい日々なのだが…

今回紹介する水旅は、その最たる事案であった。
場所は、伊豆諸島。2015年5月下旬に一人海を渡った。

島とシーカヤック

2011年から神奈川県横浜で本格的にシーカヤックの世界へ没頭した私は、併せて日本の“離島”へ興味を頂き、特に伊豆諸島へと通いつめた。
いや、“離島”という表現は変だろう。世界で7番目に大きな面積を持つ本州島も含め、日本は6852もの島を有する島国である。首都が、ここ本州島の東京にあるということで、準ずる四国や九州、北海道、そして沖縄島を省く他の島が、“離島”と称されている。
しかし、“離島”にも人々は住まい、長い歴史を持ち、本州島に負けず劣らないストーリーがある。そして何より海と共に生きているのだ。

日本のカヌーの始まりは、日本書紀に描かれた軽野(かの)

その中で最も興味を持った地域が、伊豆諸島の北部島嶼群
北から順に伊豆大島利島新島式根島、そして神津島と連なる島々に通いつめたのは、東京からのアクセスの良さもあるが、私がカヌーカヤックの歴史を紐解き始めたからだ。
その昔、本州島の伊豆半島では、神津島で産出される黒曜石を求め、軽野(かの)という丸木舟で漕ぎ出し、それで鏃(やじり)やナイフを作り狩りをした歴史が、日本書紀で描かれている。
軽野。つまりカヌーで漕いでいった、と発見したのが、私の母校である東京海洋大学の大先輩である茂在寅男氏だ。

たしかに、伊豆半島の南端に向かい高台へ立つと、遥か神津島まで見渡すことができる。
同じく伊豆大島や新島などからも、伊豆半島やその付け根にある富士山まで見渡すことができる。

伊豆大島三原山山頂から南を向く。霞んでいても、利島(右)から神津島(中央奥)まで一望できる

この近距離ならば、風や潮を味方につければ、漕ぎ付くことは可能かもしれない。
しかし、その足元には、海流がいる。日本の気候だけでなく海洋民族としてのアイデンティティを確立させた日本海流、通称黒潮(くろしお)。

日本を形作った黒潮、その脅威

黒潮は、フィリピン周辺から台湾の東を通過し、南西諸島を撫でるようにして西へと通過。鹿児島の南から高知の室戸岬、和歌山の潮岬を洗い、伊豆半島沖で伊豆諸島を流れ、銚子沖から太平洋の彼方へと消えていく。
つまり、琉球王国から銚子の発端とする発酵文化まで、日本の太平洋側の文化、ほとんどを形成していると言っても過言ではないだろう。
稲作文化が根付き中央集権的な国家が日本に誕生してからも、特に半島の先端部は南からの人や文化が流れ着き、海洋民族が根強く生きていた。
それだけ一方的でかつ絶えない強い流れが、黒潮だ。

ただ、この黒潮。伊豆諸島周辺海域のみ、流れが定期的に変化する。
研究によると、蛇行のパターンは4通り
そして、伊豆諸島で海の活動を長年している知人によると、ある都会の気象が影響しているそうだ。

南国からの使者「黒潮」と都市からの死者「冷水塊」が行き交う伊豆諸島の海

日本は降水量が多い国であるが、特に夏から秋にかけての降水量が多い。その大都市である名古屋や東京を襲う大雨、通称ゲリラ豪雨という。
冷たい水は水底に沈み、温かい水は上に。皆さんも、お風呂で味わったであろう。大都市を襲ったゲリラ豪雨は、大きな湾を潜り抜け、数百km離れた島々周辺で冷たい水は浮上し、黒潮を南へと追いやる。
その最も影響を受けてしまうのが、伊豆諸島の北部島嶼群だ。
温暖な海に生きる生物群が、冷水塊(浮上してきた冷たい水)の影響で翌日には消える。マリンスポーツだけでなく、漁業被害や欠航によりアクセス断絶など生活への影響も近年増えている。一定の場所を大河のように流れる黒潮とは異なる流れを生み出すのが、都市の名残「冷水塊」
ここ伊豆諸島の海を旅するには、冷水塊黒潮。この2つの場所を理解することが、私が生還するためのキーワードである。

黒潮に洗われる難所「伊豆諸島北部」への水旅は、死出の旅か?!

さて、私は常々あるテーマを持って旅をしている。水旅は「仮説実証型の研究」である。
つまり、生きて帰ってくるイメージを持つために、海や地域を丁寧に下見して、使用する機材や自らの心身を準備する。そして実証に移す。この繰り返し。
こうして、さまざまな水辺を漕いできたのだが…
今回は5年の歳月をかけて準備してのだが…
生きて帰るイメージができない。数パーセントでも死のイメージが付きまとってくるのだ。
特に出発予定の2015年5月下旬より1ヶ月前から、吐き気を催し眠れぬ夜が続く。
わざわざ死出の旅へと自ら赴くのか。これ程までに憂鬱な旅の前はない。

生きて帰る、それが水旅の約束

日本の長い歴史において、時に若者は死を覚悟して物事にあたったことが何度もある。
自ら望まない死へと進んでいった若者もいるだろう。
私は、そうではない。自ら計画した旅を突き詰め、想い出は楽しい内に生きて帰るのだ。生きて帰る。これが水の生業をしている者の、最低限の約束である。

そう心に誓い、信頼するカヤック仲間で、伊豆半島へ漕ぎに行く用事があった土肥カヌークラブ三澤氏の車に乗り込み、まずは下田港へと夜道を走らせた。